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ジャン・トッド

遥かなる高みを目指し続けてきた男

「時計も好きですよ。リシャールの作る時計は特に好きです。彼は誰も使いこなせないようなテクノロジーを用いて作品を開発してきました。私は完璧主義者なうえ、様々な方面でコミットメントを行っているので、時には忍耐を失ってしまいます。完璧を追い求める余り、不寛容になることもあるでしょう。結局、自分のペースで物事が運ぶことを望んでいるだけなんです!」

ジャン・トッド

レジェンドという言葉が相応しい人物がいるとすれば、それはジャン・トッドでしょう。卓越性の追求や、ディテールと抜群の性能に対する異様なまでのこだわりから、ジャン・トッドは遥かなる高みを目指し続けてきたレジェンドです。そしてリシャール・ミルとも共通の情熱が一つあります。

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ジャン・トッドは、やり残したことが見つからないほど輝かしい実績を築き上げてきました。1968年に始まった彼のキャリアは数十年にも及び、フランス、ヨーロッパ、そして世界中のレーストラックを走り回りました。彼は世界ラリー選手権でデビューを果たしてから、1981年まで参戦を続けています。この期間にジャン・トッドは、18人ものトップドライバーの隣でコ・ドライバーとして活躍。合計12社の主要マニュファクチャラーから参戦し、数々の国際ラリーレースで勝利を飾りました。1990年にはPSAプジョーシトロエン・グループのスポーツ部門で監督に就任。スポーツカー世界選手権に参加するプジョーを担当して、1992年には優勝に導いています。

プジョーはジャンのもとで1992年、1993年のル・マン24時間レースも連覇しました。1993年7月1日にはプジョーからフェラーリに転籍し、レース部門のトップへと就任。1993年から2008年の間、ジャンの率いるスクーデリア・フェラーリはF1世界選手権で14つのタイトルを獲得し(コンストラクターズタイトル8回、ドライバーズタイトル6回。後者はミハエル・シューマッハが5回、キミ・ライコネンが1回)、グランプリで106勝を挙げています。

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ジャン・トッドは慈善活動にも時間を惜しみません。脳脊髄疾患専門の医学研究機関として2005年に創設された脳・脊髄研究所(ICM)では、創設者の1人として副所長に就任。2009年からは「FIAの自動車の安全に関する財団」の理事会員、2014年より「スー基金」の理事長、そして2015年6月からは「国際平和研究所」の理事会員も務めています。

「私はリシャールの、情熱的で徹底した大胆さが好きです。実をいうと、彼は自動車にも、ある意味で時計以上に愛着を抱いているんですよ。時計製造で成功したことが、自動車に対する深い情熱につながったようです。」

ジャン・トッド

ジャン・トッドとリシャール・ミルの世界は2つの作品を通じて交錯しました。1作目はRM 036 トゥールビヨン G-センサー。このモデルは減速時に発生する力をドライバーに知らせるため、路上でより安全な運転を促進します。安全な運転は、国連の交通安全特使であるジャン・トッドの優先事項となっています。2作目は世界24主要都市の時間を表示するトゥールビヨン RM 58-01 ワールドタイマーです。